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高野山真言宗熊本大圓院熊本 大円院 宇土 住吉

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住職のことば

今月の住職のことば

秋彼岸「命のひまわり」

  夏の日差しをいっぱいに受けて青空に向かって微笑むよう元気に咲くひまわり。 そのひまわりの花を見るといつも思い出すことがあります。
 平成23年11月、京都木津川市での交通事故で、東 陽大(あずま はると)ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。
 生前、陽大ちゃんは幼稚園で育てていたひまわりの種を自宅に持ち帰っていました。
 平成25年春、この事故を担当していた警察官が陽大ちゃんの自宅を訪問したとき、ご両親は「陽大が生きた証を残したい。このひまわりがあちらこちらで咲けば、陽大も色んな所へ行けると思う。そして交通事故がなくなるように」との思いでそのひまわりの種を警察官に託されました。
 平成27年には京都府内の警察署、幼稚園、保育園、小中学校、指定自動車教習所各地域等で、平成28年以降は京都府内だけではなく、そのひまわりの種は、全国各地で大輪の花を咲かせました。
「心がありのままの姿であれば、風にのってどこまでも、自由自在にとんでゆく」(遍照発揮性霊集巻第三)のお大師さまのお言葉の通り、ご両親とお兄ちゃんの陽大ちゃんへの想いはいつでも、どこでも慈愛の風にのって陽大ちゃんのいる場所へと届いていることでしょう。そして、何よりも陽大ちゃんへの供養となっていることでしょう。
 秋彼岸の青空に向かってあなたの大切な人へ言葉をかけて想いを届けましょう。

              合掌(2023年9月13日) 

お正月「心の杖」

 人生はよく旅にたとえられます。一昔前まで旅にあって力となったのは 杖です。人生が旅のようなものだとすれば、何か杖となるものが必要でしょう。
 四国八十八か所を巡礼する人は、金剛杖という杖をついています。金剛杖はお大師さまの身代わりです。 たとえ一人で巡礼しても同行二人、金剛杖をついていればお大師さまが いつもいっしょであるということです。
 中国の故事に次のような教えがあります。
    扶(たす)けては断橋の水を過ぎ   
     伴っては無月の村に帰る
橋が落ちていても、杖が一本あれば浅い深いを確かめて渡ることができる。闇夜であっても杖をついていると、無事我が家に帰ることができるという意味です。
 私の知人で、二十歳の時に交通事故で光を失った全盲の男性がいます。自立支援センターで厳しい訓練を受け、白い杖をつけばほぼ支障なく日常生活が送れるようになりました。
 お大師さまのお導きで、彼といっしょに四国八十八か所巡礼をさせていただく仏縁に恵まれました。無事に巡礼を結願して、高野山奥之院に御礼参りを済ませることもできました。
 後日、私の手元に彼からお礼の絵葉書が届きました。よく見ると星野富弘さんの菊の絵と詩が添えられています。
   母の手は菊の花に似ている
   固く握りしめ
   それでいてやわらかな母の手は
    菊の花に似ている
「母の手が心の杖となって、陰となり陽向となり今まで私を支えてくれました。そのぬくもりを忘れることはありません」と話してくださいました。 母の手のぬくもりを忘れていた私は、目頭が熱くなりました。
「元旦は一年の旅の始まりです」 今年のお正月は、人生における「心の杖」について考えてみましょう。
              合掌(2023年1月6日)   


お盆「ほうずき」

 お盆の季節になりました。お仏壇や精霊棚そしてお墓に仏花としてお供えされる日本の夏の風物詩に「ほうずき」 があります。オレンジ色の可愛らしい、ほうずきをお飾りするとなんとなくほんわかな気分になりますね。
 昨年のお盆参りのことです。大好きなおじいちゃんとおばあちゃんの家にお里帰りをしていた四歳の男の子。 お勤めを始めようとすると、おじいちゃんのお膝の上にチョコンと座ってお仏壇にお供えしてある、ほおずきを指さして 「ねぇ、ジィジィあの赤いのは、なぁに?小っちゃいランプみたいだね」おじいちゃんは「ホントだね。ランプみたいだね」と。 私はその会話を耳にしながら、ほおずきを眺めてみると確かにランプの形をしています。
 ほおずきは英語で「Chinese Lamp(チャイニーズランプ)」と呼ばれているそうですが、言葉の由来はその形から「なるほど」と、うなずけますね。
 また、日本では「ぼんぼり」の形をしていることから提灯に見立てて、お盆にご先祖さまをお迎えするためにお供えされる風習となりました。
 お大師さまは「この世のすべての物事にはそれぞれに存在価値があり、そこに新たな価値を見出すことが出来る」と説いておられます。
 ほおずきを単なる植物としてとらえるのではなく、四歳の男の子のように純粋無垢な感性であらゆる角度から物事を見つめると様々な価値観が生まれてくることも、仏花としてお供えするだけではなく、お盆の提灯と考えることも、日本人の心の豊かさをあらわしていると言えるでしょう。
 心静かに手を合わせ、亡くなった大切な方をはじめ、ご先祖さまと語らうお盆の期間にすべてのものに存在価値を見出す「心の眼」を養ってゆきましょう。今まで気づきもしなかったものが、眩しいくらいに新たに光り輝き、あなたの前に現れて来ることでしょう。            合掌    
   (2022年6月23日)   


星祭り

 2022年1月30日(日) 新型コロナ感染拡大の状況を考慮し、星祭りを分散して執り行いました。
 年の変わり目である節分にその年の星を祭って悪事災難を免れるよう、また善い年は一層善くなるよう祈願します。
 来年は例年通りの形式で皆様に御集りいただけることを心より願っております。                    合掌    
   (2022年2月2日)   
  




 

正福寺「納め法要並びに本山布教師法話会」のご案内

 謹啓 紅葉の候、皆様におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
 本年は、納め法要の後に本山布教師様をお招きいたしましたご法話をいただきます。法要の後、本山布教師 高野山桜池院ご住職 近藤堯寛僧正による法話がございます。近藤僧正は多数著書を出版されており、日々高野山のご研究と普及活動にご尽力されています。また、桜池院は武田信玄公の菩提寺としても有名なお寺です。
 本山布教師とは、高野山の管長様の代わりに全国のお寺を布教して回られている僧侶の方です。滅多にない機会でございますので、皆様のご参拝をお待ちしております。なお、お接待をご用意いたしますので参加人数をお寺のほうまで電話にてお教えください。よろしくお願いいたします。
合掌        
 日時 令和元年12月16日(月)
    法要 午前11時より ※いつものご縁日と時間が違います
   ご法話 午前11時半より 本山布教師 近藤 堯寛 僧正
 場所 正福寺本堂にて 熊本市中央区坪井2丁目1−12
    電話 096-343-3770

(令和元年11月21日)
     

お寺の日(10月第1日曜日)

 普段、あまりお寺に御縁のない方にもお寺に親しみを持っていただこうと、令和元年の今年より「お寺の日」として催しをいたします。

 今年は、10月6日(日曜日)11時より大圓院本堂にて、法話を聴く会を開催します。お話は、
 高野山金剛峯寺 本山布教師
 人吉 南光院住職 渕田 雲渓師

 宗派関係なく、どなたでも聴いていただける会です。
 南光院の御住職が有り難いお話をされますので、どうぞ気軽にご参加ください。 合掌
(9月21日)
                

秋彼岸「魂の耀き(かがやき)」

 昨年の秋のお彼岸に、あるお宅にお参りした時の出来事です。
 そのお家の仏壇には、何代も続くご先祖のお位牌(いはい)がたくさんならんでいます。
 ちょうどお彼岸入りでしたので、奥様が早朝からお位牌を丁重に一霊
ずつ浄(きよ)めていらっしゃいました。
 それを小学生の子どもさんが見て、
「お母さん、何してるの?」
「お位牌をふいているの」
「それ、誰のお位牌?」と聞いているのです。
 古いお位牌の文字を見て「お母さんも会ったことのないご先祖様よ・・・」と話すと、「うんうん」とうなずいています。
 新しい小さなお位牌に目を留めた子どもさんが「これは誰?」
「これはよくわかっている。あなたが生まれる前にお姉ちゃんが死んだの。これは、あなたのお姉ちゃんのお位牌よ」とお母さんが言うと、子どもさんはそのお位牌をしっかりと胸に抱いて、「僕にお姉ちゃんがいたんだ、お姉ちゃん、お姉ちゃん」と言いながら部屋の中をぐるぐる歩き始めました。
 お位牌は、ただの板切れではありません。亡き人の心が宿っています。子どもさんは亡きお姉ちゃんと会話を楽しんでいるのです。
 人は死んでしまえば、すべてが無に帰するのではありません。
 私達は父母から、身と心をいただいてこの世に生を受けました。確かに死んでしまうと身は滅びますが、心すなわち魂は生き続けます。
 弘法大師さまは『性霊集(しょうりょうしゅう)』の中で、幾度となく故人の魂の位が上がっていくことを真に願い祈る様子を文章に書き表されています。
 お位牌を抱く子どもさんの姿は、亡き人の魂の存在を感じる情景です。
 どんなりっぱな美しい言葉よりも人をうなずかせる耀き(かがやき)がありました。 合掌
(8月21日)
                                               
  

お盆「六方礼(ろっぽうらい)」に学ぶ

 仏教の開祖お釈迦さまの説法の中で、特に意義深いものに「六方礼(ろっぽうらい)」の教えがあります。
 インドの国でお釈迦さまがご在世の時、シンガーラという一人の青年が毎朝早朝に起きて身を清め、合掌して東・南・西・北と天・地の六方に向かって礼拝(らいはい)していました。
 ある朝、お釈迦さまが托鉢(たくはつ)の修行中、自宅の前で手を合わせて礼拝するシンガーラの姿に接しました。
 最初に東の方に向かって手を合わせ、次に南の方、西の方、北の方と同じことを繰り返し、それから天と地に向かって礼拝しています。
 その敬虔(けいけん)な礼拝の姿に感動なされたお釈迦さまは、「あなたは、この礼拝を誰から教わったのか」と尋ねました。するとシンガーラは、「亡き父母も同じようなことをしていました。私はそれを毎日実行しているに過ぎません」と答えました。
 そこでお釈迦さまは、意味を知って拝めばさらに礼拝の意義が深まることを話され、「六方礼」について次のように説かれました。「東方を拝むときは私を生み育てて下さった父母に感謝し、南方を拝むときは私を導いて下さった先生に感謝し、西方を拝むときは妻と子どもに感謝し、北方を拝むときは友人や社会に感謝し、天を拝むときは仏さまの恵みに感謝し、大地を拝むときは自分より若年の人に感謝せよ。それが六方を礼拝する意味である」と。
「六方礼」の学びを通じて、”令和”という新しい時代の節目に自信を見つめ直すことは意義深いことです。
 令和元年のお盆は、御仏前を整えて。亡き人が「今ここに在る」との思いを胸に供養と礼拝につとめましょう。
 やがて、その功徳(くどく)が自身にめぐらされ、新時代にふさわしい豊かな真心が養われることでしょう。 合掌
(6月17日)
                                               
  

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